どうして本名を名乗れないの?(1)
0
    「お役所と格闘」
    文:パッハー眞理(ウィーン・オーストリア)


     私がウィーンで産声をあげた50年代の後半、音楽留学生はほんの一握り。原子力機関の家族たち、大使館関係の人たちしかいなかった。

     両親は日本人的な名前で、大学のクラスメートからきちんと呼んでもらえなかった。母は清子。父は菊夫。キヨコ? とヨに変なアクセントをつけて呼ばれた。

     それすら舌がもつれてリューマチをおこしかねないからと「キッキ」という愛称をつけられてしまった。名前では苦労したので、ウィーン生まれの娘には国際的な名前をつけようと、Maryにした。だから出生証明書にはそう表記されている。

     3年後、両親と東京へ戻ることになった。

    さあ、住民票を東京へ移そうという話になって、私の名前がアメリカ人的な名前なので問題が生じてしまった。

    「こんな外人の名前をつけることはわが国で認められていません」とのことだった。慌てて母は父に相談して、メアリーと似たようなマリにすることにした。その時に漢字ではどう書きますか? と聞かれてとっさに「眞理」に決めたという。それが将来外国に住んでいく私にとってどんなに迷惑なことかお役所も、両親すら知る由もなかったのだが……。

    「眞理」という名前に生まれ変わって生活するにあたり、パスポートもMariになってしまった。そうするとオーストリアでヴィザを取るときに困った事態が起きる。出生証明書にはMary となっている。でもパスポートはMari。ではこの人物は誰? と重箱の隅をつつくほどうるさい役所は考えるわけで、大使館で事情を話し私は名前変更の経過をドイツ語の書類にしてもらった。

     さすがに今の日本ではこんな事はないと思う。国籍色豊かな名前が次々誕生していて、受理されているのだから、それだけ時代とともにお役所の頭も緩和したのだろうか?

     先日も、日本のパスポートの名前をMariからMaryに書き直したいと申し出たが、妙な顔をされて、

    「書き直しにはお金がかかりますよ。それほどまでして書き直したいですか?」

     と言われてしまいスゴスゴ引き下がった。パスポートをもとに作られるオーストリアの運転免許証もMari になっている。しかし仕事上の身分証明書にはMaryで登録されている。地元の人は当然そのスペル通りに「メアリー」と呼ぶが、日本人は皆「まりさん」という。ああ、ややこしい!

     本名を名乗れる日は一体いつ来るのだろうか? 

    ≪パッハー眞理/プロフィール≫
    山羊座で0型。ウィーンで生まれロンドンでピアノの修行をした。
    珈琲が大好きなライター。最近はスリランカのレシピをゲットして色々料理を楽しんでいる。美術館が憩いの場だ。美術品は下手な音を出さないのが気に入っている。大学生の一男一女の母親でもある。
    カテゴリ:『お役所と格闘』 | 08:31 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
    どうして本名を名乗れないの?(2)
    0
      「お役所と格闘」
      文:パッハー眞理(ウィーン・オーストリア)


       ある平和な春の日……

       私と親友の京子は東京にあるとある高校の教室で、授業なんぞそっちのけで名前リストをつらつらと書いていた。将来結婚して女の子が生まれたら?ということを前提として、ふたりで名前をつけるのはとても面白いことだった。少なくとも今先生が説明をしている古典よりはずーっと役に立つことであった。

       「眞理の理をとって『亜理沙』なんてステキじゃない?」

       京子が言うことはいつだって的を射ているから、女の子の名前は『亜理沙』に決まった。

       それから10年後、私は故郷オーストリアで結婚をし計画どおり女の子を産んだ。

       そしてオーストリア人の夫も大いに気にいってくれたものだ。

       ただ気にいってくれない所があった。それは戸籍係り。オーストリアはカトリックの国。365日、カレンダーには聖人の名前がついている。

       たとえば8月11日は聖クララの日というように。

       その聖人名前リストにはアリサはない。だから提案としてアリスはどうかということだった。私はまだ産院にいたし、戸籍係りへ登記に行ったのは夫だけだった。彼も色々粘り『亜理沙』はだめかと聞いたのだが、何回聞いても答えはノーだった。そんなこんなで私たちはお腹の中にいる時から『亜理沙、亜理沙』と呼びかけていたのに、出生証明書にはアリスと記入するはめになった。


       京子が私の「理」までわざわざ入れてつけてくれたのに、とっても残念なことだった。もう自分の名前を名乗れないのは私だけでいい加減十分!と腹だたしく思ったのも事実である。日本へ帰ると皆から「亜理沙ちゃん」と呼ばれて、本人も自分が亜理沙と思いこんでいた。そう……幼稚園に入るまでは。

       やがて3歳で幼稚園に入ると、先生は出生証明書どおりに「アリス」と呼ぶし、文房具をはじめ、幼稚園で使うもの全ての道具にもそう書かれてしまった。驚いたのは本人だ。
      「ママ、私は亜理沙って言う名前なのに、皆幼稚園でアリスって呼ぶのよ?」と不思議そうな、そして困った顔をしている。仕方なしに自然の成り行きにまかせていたら、日本の親戚の間では「亜理沙」ウィーンの学校では「アリス」と呼ばれていった。

       「どいつもこいつも親が真心をこめてつけた名前を受理しないなんてどうなっているんだ!一体何の権利があって私の名前といい、子どもの名前までも役所が管理するのだ!」

      といつまでも怒りがおさまらない。二人目に男の子が産まれた時はもういい加減面倒になりAから順番に「アンドレアス」にした。へん、ざまーみろ!

       即受理された。

      ≪パッハー眞理/プロフィール≫
      山羊座で0型。ウィーンで生まれロンドンでピアノの修行をした。
      珈琲が大好きなライター。最近はスリランカのレシピをゲットして色々料理を楽しんでいる。美術館が憩いの場だ。美術品は下手な音を出さないのが気に入っている。大学生の一男一女の母親でもある。
      カテゴリ:『お役所と格闘』 | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
      | 1/1PAGES |