屋根裏掃除とラブレター
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    『義理の家族とのつきあい方』
      文:夏樹(フランス・パリ在住) 


     私の場合、義理の家族との間で、深い共感を感じることはもともとなかったが、腹がたつことも、もうあまりない。「またか」と言いたいとき、「今度はそう来るか」と呟くことはあっても、「そんなのって、ないんじゃない!?」と驚愕することはなくなってしまった。ある夏の日の大発見を境に。

     我が家が夏を過ごすのは、ブルターニュ地方の小島である。ここには、2世紀前から、夫の家族に代々継がれてきた家がある。もちろん、遺産相続争いの種にもなっていて、夫はよくこの家がでてくる悪夢に苛まれ、真夜中にガバっと起き、「家が…家が汗をかいていて、壁がびっしょり濡れていた!」などと話してくれる。

     ある日、白アリに襲撃された屋根裏部屋があまりにも凄まじい様相を呈してきたので、改築しようということになった。所狭しとあった物もの、何代にもわたって、「捨てにいくのが面倒くさいから、そこに置いておいたもの」を整理することになった。

     ヒットだったのは、夫の父親宛のラブレターである。もちろん、姑ではなく、別の女性からのものである。姑と結婚する前の10年にわたっての一連の手紙で、膨大な量である。

     本人同士にとっては、複雑きわまる大悲恋だったが、要約すると次のようなストーリーになる。彼女と彼は20歳から30歳にかけて恋人であった。彼女は後、詩集や小説を出版した女性で、鋭いエスプリを備えていた。お互い、性格が激しくて、何度も喧嘩別れをして、また、よりを戻している。2回にわたって、婚約式のてはずを整えるが、2度とも、両親に反対された彼のほうがはっきりせず、お流れになる。彼女がユダヤ人だったからである。

     結局、彼はまったく別のタイプのおっとり型女性、すなわち私の姑と結婚し、満足せず、ずいぶん辛く当たり散らしたらしい。

     不思議なのは、いったい、なんだって、舅はこんなものを屋根裏部屋に隠しておいたのだろう?ということだ。単なる未練か? 時代や社会を敵に回してでも、愛した女性を守ることができなかった自分が不甲斐なかったから? そして、なんだって、姑は、未亡人として50年近くも生き、この手紙類をここに放っておいたのだろう? 知らないのか、あるいは、見て見ぬふりをしたのか?

     ブルターニュの夏の夜は、肌寒い。暖炉にあたりながら、ひとつひとつの手紙を読み上げる夫の声に耳を傾けていた。かねてから、「この家のひとたち、なんだかはっきりしないなー。なんでこんなに世間体気にするんだろう?」と、もどかしく思ったさまざまなできごとの背景に、こんな歴史があったことを知り、その結び目がほどけていくような感じがした。

    ≪夏樹(なつき)/プロフィール≫
    フリーランスライター。同じ血を分けた実家のドラマのこととなると、怒り心頭に達し、収拾がつかなくなる私だが、義理の家族ドラマのことは、密かに人間観察のよい機会だと思っている。一歩さがって傍観できるだけに、思いがけない発見も多いものだ。
    カテゴリ:『義理の家族とのつきあい方』 | 20:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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