「金は禁!?出る杭だって絶対に打たれないオランダ」
0
    『日本の常識は世界の非常識?』
      文:澤野 禮子(オランダ・アムステルダム市在住)


     「沈黙は金」、という言葉がある。やたらと無駄に喋るよりも、黙っていたほうがずっと、相手に威圧感を与え、説得力を感じさせる効果がある、という意味らしい。
     
     しかし、だ。「ここは黙って」とか、「減らず口をきかず」といったような、日本でだったら当然のことが、オランダでは全く通用しないのである。

     初めてオランダに来た年の暮れ、配偶者の家族とクリスマスの食卓を囲んだ時のことだ。まずオードーブルが運ばれてきて、それでは静かに頂きましょう、などとかしこまっていたのは私だけ。開口一番、皿の上に乗った食材の吟味と品評が始ったのである。エビの大きさが皿のサイズに合っていない、アボカドの色が悪い、塩加減はどうだ、思ったよりもまずい、などなど、彼らにとっては、食するよりも批評を述べるほうが重要らしく、機関銃の如くに各人が勝手に喋りまくるという具合である。大声のモノローグ、とでもいおうか、誰もお互いの意見に耳を傾けたりはしない。ただ勝手に、自分の思いつくままを怒涛の如く吐き出しているだけなのである。

     会話とは、ピンポンとかテニスに似ていて、相手が打ったらこちらが受け返すものだ、などというのは、オランダ人同士の会話では皆無である。常識をここまで覆した非常識があったということを悟った出来事であった。

     親しい家族内でもこの調子だからして、赤の他人と会話を交わすともなれば、更なる覚悟が必要となる。オランダ人は概して相手の言い分を絶対に聞かない。わが意見こそ正当だと、限りなくゴリ押しをする。彼らにとって、自分の声は神の声。従って、オランダ人を説得したり、言い合いをして打ち負かすことはまず不可能なので、避けるか逃げるかをしたほうが無難、といえよう。

     そこで、オランダ人である配偶者に尋ねてみた。

     なぜ、オランダ人は人の話を聞かず、自分の意見ばっかり述べているのか? と。

    「沈黙しているってことは、この国では隠し事をしていることに通じるからさ」

     つまり、多くの人と一緒にいる場において沈黙を守ったり、意見も述べられないような人というのは、”隠し事の多い、疚しい人物”と見なされるのだそうである。

     かつて長崎の出島に出入りしていた蘭学者だかが、実際にオランダ人たちが喋りあっているその様子を目の当たりにした際、その騒がしさにたまげたそうだが、それも然り、かもしれない。
    ただやたらと耳障りな言葉を、大声で怒鳴りあっているに過ぎない、と江戸時代の日本人が評していたことを、平成に生きる私も、全く同じに感じているからである。

    教訓・オランダでは、沈黙とは、あくまでも禁。

    ≪澤野 禮子 (さわの れいこ)/プロフィール≫
    フリーライター。日本とは何もかもが正反対、といわれる国オランダに住み、早12年。水を得た魚、とまではいかなくとも、エサを得て、この国を自由に泳ぎまわっている。

    カテゴリ:『日本の常識は世界の非常識?』 | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    「沙漠の国のガーデニング」
    0
       
      『日本の常識は世界の非常識?』
        文:郷らむなほみ(オンタリオ州・カナダ)

       イラク戦争に伴う日本への退避帰国を終え、滞在先の名古屋を出発したのは梅雨の真っただ中。久しぶりの我が家に戻ったら、すっかり夏! というサウジアラビア・リヤドの気温は、既に40度を超えていたのでした。殺風景なウチの庭に色が欲しいと思っていたのに、この暑さではペチュニアも一晩でドライフラワーになってしまいそうです。

       そういえば、外出時に車の窓から見た街路樹は元気がなく、草木は茶色い葉を付けています。えーっ! 夏は植物が枯れちゃうの? 夏枯れ? と、軽いカルチャーショックを受けたのでした。

       リヤドは内陸部で、夏場の気温はとても高く、庭にデジタル温度計を置いているご近所のマダムは、最高気温が50度を超えるかどうか、毎日嬉々としていました。それでも、ドバイやアブダビといった沿岸部の都市とは違い、湿度は限りなく低いのです。湾岸地方では、エアコンの効いた建物から外へ出ると、一気にメガネが曇ってしまいます。足元が見えず、つんのめって転びそうになってしまったことも度々でした。その点、リヤドはどんなに暑くてもカラッとして快適。まとわりつくような湿った空気、さっきシャワーしたばかりなのにすぐまた汗が滝のように吹き出して来る、などということはありません。

       9月になると、ずいぶん気温が下がるようになり、10月はすっかり秋。日中の最高気温は30度くらいです。そうなると、植物は元気を取り戻して、ぐんぐん成長していきます。プラントスーク(植物の市場)が賑わうのはこのころです。毎年、今年こそは枯らさずに上手に育てようと思っても、メイドさんのいない我が家は、長期休暇で出かける度に水やりができず、結局は秋がやって来る度に新しい鉢を買うことになってしまうのでした。

       クリスマスまで2ヵ月程だと思うと、ちょっとツリーを探してみたくなります。が、イスラム教が国教のサウジでは、異教徒の象徴であるクリスマス関連の品物は公には販売されておらず、クリスマスツリーも御法度。特にクリスチャンではなくても、時季的な反応なのでしょうか、ないと余計に欲しい! さりげなくそれっぽい、“なんちゃってクリスマスツリー”をゲットして玄関に置き、赤い小さいリボンをたくさん飾ります。ホワイトクリスマスとは無縁の地ですが、それなりに工夫して季節感は出せるのだと思いました。

       ガーデニングは冬のお楽しみという、アラビア半島の暖かい冬が懐かしい今日この頃です。

      ≪郷らむなほみ (ごうはむなおみ)/プロフィール≫
      フリーランスライターで転勤族の妻。2003年〜2007年夏まで、4年8ヵ月をサウジアラビアの首都リヤドで過ごした。最初の年は気合いを入れてガーデニングに勤しむも、翌年の春が来たら一気に死滅してしまった庭の鉢植えに絶句。その年の冬に日本風石庭を造って、残りの任期は手間要らずになった。数十年ぶりの厳冬というカナダで、毎日雪かきに追われている今日この頃……。
      カテゴリ:『日本の常識は世界の非常識?』 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      | 1/1PAGES |