パリ、1月、真冬の路上で芽生える恋
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    『ところ変われば……』
      文・写真:夏樹(フランス・パリ在住) 
    パリ、1月、真冬の路上で芽生える恋

     フランスでは、この1月1日から、バーやレストラン内での喫煙が禁止されるようになった。15年程前、駅構内や仕事場が禁煙になって以来の、厳しいお達しだ。

     最近、フランス映画50年代の名作、ゴダールの『勝手にしやがれ』を、20年ぶりに見た。学生時代、夢中になって見た映画だ。ジャン・ポール・ベルモンドのタラコ唇からだらりとぶらさがるタバコの煙で、画面が煙っていた。そう、あの頃見た映画で、タバコをくわえていないスターなんていなかったのだ。彼らが両切りの太いジタン(写真参照)を箱から出すときの手つき、火を点けるときに撓う(しなう)うなじ、そんなすべてが、私にとっては「憧れのおフランス」だった。

    「タバコを吸えば大人の女になれる」と勘違いしていた私も、その頃は、かなりのチェーンスモーカーだった。禁煙に踏み切ったのは、その後、育児をするようになってからだ。時を同じくして、フランス政府は禁煙政策をとるようになり、映画の中でも、タバコが小道具として使われるようなことは少なくなった。煙で霞んだような映像も時代遅れになったのか、今は、ガタガタ揺れる画面が流行っている。

     昨日、友達の家に食事に行った。デザートに入る前に、ミッシェルは早々と席を立ち、コートを着込んでいる。
    「もう帰るの?」と聞くと
    「ううん、ちょっと吸ってくる」と言って、ポケットからタバコの箱をちらりと見せ、彼女はベランダに姿を消した。

     テーブルを囲んで、たちこめる煙に煽られるようにして、口角泡を飛ばして議論することもなくなったのだ。喫煙者は、音をたてず、ひっそりと外に消える時代になった。私も、元喫煙者だ。食事のあとの一服の味が格別なのは忘れていない。わざわざ外に出て行く彼女が不憫で、声をかけた。

    「でも、外に行って吸うのって、やっぱり不便じゃない? とくにこんな寒い時期に、コート着て、帽子被って、手袋はめてなんて、準備するだけで面倒だし」

    「でも、楽しいこともあるのよ。昨日、バーに一杯飲みに行ったんだけど、結局、喫煙者だけ追い出されるから、グラスもって外に出て吸うわけ。そうすると、深夜の路上には、喫煙者だけの水入らずの親密さっていうのができるのよ。知らない人でも、『火ある?』っていうのが合い言葉で、すぐ、仲良くなっちゃうの。だから、この1月1日以降にタバコを縁に知り合ったカップルっていうのが多いんだって。私も別れたばっかりだから、いい男に会えたらいいなって思ってるんだ!」

     真冬の深夜、零下1度に冷え込むパリ、バーの前の路上は、迫害されたマイノリティーがたむろする悲しい場所ではないらしい。それどころか、新しい恋が芽生える、とっておきの秘密クラブらしい。


    ≪夏樹(なつき)/プロフィール≫
    フリーランスライター。在仏約20年。パリの日本人コミュニティー誌「ビズ・ビアンエートル」や日本の女性誌に執筆。

     
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    中国トイレット・トレーニング事情
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      『ところ変われば……』
        文・写真:長 晃枝(東京・日本)


       よちよち歩きをはじめた子どもが、おぼつかない足取りで歩く姿はなんともほほえましい。その愛らしさを際立たせるのが、おむつでモコモコにふくらんだ大きなおしり……だと思っていた。中国の子どもたちを見るまでは。

       歩きはじめる年頃の中国の子どもたちのおしりは、日本はもちろん、私の知る限りの多くの国の子どもたちのおしりと違い、かなりすっきりしている。それもそのはず、おむつはおろか、パンツもはいていないのだから。おまけにズボンの股にも大きな穴があいていて、かわいいおしりが丸出し状態なのだ。
      お尻丸出し

       もちろん、お兄ちゃんやお姉ちゃんのお古で穴あき、というわけではない。もよおしたらすぐに用が足せるように、というわかりやすい構造なのである。そう話には聞いていたが……実際にその姿を目の当たりにしたときはやっぱり目が点になった。

       確かに合理的ではあるが「おしりは隠すように」と育てられた日本人のワタシとしては、どうにも違和感を覚える。何度見ても、自分がおしりを出しているわけでもないのに、なんだかスースーするような気がして落ち着かない気分になるのだ。

       それに、子育て経験者としては、衛生状態がよいとは必ずしも言い切れない中国のこの環境で、まだ抵抗力の弱い幼い子どもがおしりを出していてバイキンが入ったりしないのか、おなかが冷えて下してしまうのではないか、寒くて風邪をひいたりしないのか、と余計な心配ばかりが頭をよぎる。

       しかし、当の子どもたちはいたって快適な様子。実際に用を足すところも見かけたが、たしかにすこぶる便利であることは間違いない。おまけに、自分で用が足せるようになるのも早いらしい。といっても、子どもなら道端でも、ヘタをすると列車の中でも、ところかまわず用を足しても許されるという文化のなせる業でもあるのだが。

       そんな天真爛漫な子どもたちを見て「私は娘のおむつはずしにそれなりに苦労したんだけどなぁ……」とちょっと遠い目になった。まぁ、そもそもおむつをしていないのだから「おむつはずし」とは言わないのだろうが……。

       中国の風景の中では、おむつでモコモコではなく、丸出しのおしりのよちよち歩き姿もまたかわいいもの。なんとか写真におさめたいと常々思っていたが、これがなかなかむずかしい。カメラを向けると、たいていの親はこちらに最高の笑顔をむけるように仕向けてくれるのだ。まさか「そのおしりが撮りたいんだけど……」と言うワケにもいかず、満面の笑顔の親子のツーショットを撮ることになってしまう。あるいは、写真を撮られることをひどくうとまれる場合もある。

       おまけに、北京や上海などのすっかり都会化した中心部では、さすがにこんな姿の子どもに出会う機会は少ない。おしゃれな若夫婦に抱かれた子どもは、もちろん穴あきズボンではなくファッショナブルな子ども服をまとっている。庶民的なエリアでは、今も穴あきズボン姿を見かけることはあるが、そこから紙おむつがのぞいていることもしばしばだ。

       しかし、この夏に訪れた平遥で、ついにかっこうのフォトジェニックに出会った。リンゴをかじりながら、お父さんと散歩していた彼女はとても人懐っこく、最高の笑顔で近寄ってきた。そして、カメラをかまえるワタシの周りを、穴あきズボン姿でひとしきり歩き回ってくれたのだ。平遥は世界遺産に指定されている古都。歴史ある町並みを背景におしり丸出しで楽しそうに歩く姿は、いかにも大陸的なおおらかさにあふれていた。


      ≪長 晃枝(ちょう あきえ)/プロフィール≫
      フリーランスエディター&ライター。娘たちも自分のことは自分でできるようになったので、ハハは世界を駆け巡る……はずが、ガイドブックを手がけることになってしまったこのごろは、もっぱら東アジア行脚の日々。メインテーマである食べモノと旅モノを追及するにはうってつけだが、たまには自分のためのオシャレな旅にも行きたいなぁ。
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      母親と息子の関係
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        『ところ変われば……』
          文:冬野花(ニューデリー・インド)

         ところ変われば母子の関係も変わるものだ。日本では完全に「マザコン」と見なされるであろう光景が、母親と息子の間で普通に見られるのがインドである。

         インドには「親離れ、子離れ」という概念すらないと思われる。人生というものを、私達とは全く異なった観点から捉えているインド人には、この言葉はいくら説明しても、理解してもらえないだろう。これこそが文化ギャップというものだ。親子が、むしろそれを「理想的な事」として、一生ベッタリ依存しあって生きている様は、日本で育った私の目からすると、見ているだけで窒息しそうになる。

         例えば、バスや電車の中で、18歳や20歳くらいになった息子が母親の膝枕で眠りこける、母親がいい歳した息子の肩に体をあずけて眠る光景をよく目にする。インド人女性は子供を早く生むうえに、肉体的な老化が早いので、こちらとしては「奥さんだろうか?いや、母親……?」と戸惑うのだが、母親である事が多い。

         また、映画などでよく見られるシーンがある。それは、なんらかの不幸の真っ只中という状況(←インド映画では必須だ)で、白髪まじりの母親が、もう完全に大人の息子の胸に抱かれて、さも“か弱いもの”として号泣。母親を胸に抱いた息子も、天を仰ぎつつ、さめざめと涙を流して悦に浸る、といったもの。ヒーローにとって不可欠な “母親思い”という要素を描くために、わざわざ母親を不幸な状況に置いている場合が多いように思えるほどだ。未亡人で体が弱く、そのうえ地主からいじめられており、幸せとは無縁の人生を送ってきた40代後半で白髪まじりの母親、といった風でなければならないわけである。

         その他、恋人同士のシーンならうなずけるのだけれど……、といった母親と息子同士のシーンが満載なインド映画であるが、それら描写は私達の感覚からすると“母親思い”を遥かに飛び越え、時には禁断の近親相姦一歩手前に見えることもある。

         私はまだ子供を持っていないので想像する事しかできないのだが、将来、大人の男になった息子の胸に抱かれてボロボロ涙を流すなんて、あり得ない気がする。顔から火が出そうだ。むしろ、自分の涙は息子にだけは見られたくないと思っている自分なら想像できるのだが。

         母親と息子の関係。各文化において、いろいろな形が見られるものの典型と言えると思う。

        ≪冬野花 (ふゆのはな)/プロフィール≫
        2004年夏よりニューデリーに単身在住。ヒンディー語をしゃべりながら暮らす。フリーライターとして活動しながら時間を見つけてはインド国内旅行をする日々。夏は最も魅せられているヒマラヤ方面、冬はポルトガル植民地時代の面影が残るゴアがお気に入り。旅ルポ、アーユルヴェーダ、ヨーガに関しての執筆も得意。ホームページhttp://fuyuhana.wancoworks.com
        ブログ「心の暴風警報」 
        カテゴリ:『ところ変われば……』 | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        公務員が長期スト!?
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          『所変われば……』
          西川桂子(バンクーバー・カナダ)

           カナダで暮らして、早くも13年が経ってしまった。その間、見てきたストの中には、日本で生まれ育った私には信じられないようなものもあった。

           例えば、今夏、バンクーバー市の職員がストをした。

           へぇ、公務員の市職員が…と思うかもしれない。

           市役所の一部業務が停止している他、コミュニティセンター、スイミングプール、スケートリンク、図書館などの施設は休業。折角の夏休みにも市営プールは利用できなかった。コミュニティセンターで開かれるプログラムも全てキャンセルだ。そして、驚くのは、なんと! ゴミの収集員も参加していることだ。

           それも24時間、48時間といった時限ストなどではない。7月下旬からだから、2ヵ月以上だ。図書館などは閉まっていると残念だが、許せる。しかし、ゴミが収集されないのは残念ではすむ問題ではない。市民にとっての一番の頭痛の種となっている。住宅街をまわってくる、民間のにわかゴミ処理業者にお願いしたり、徹底的な分別を行って、食品くずなど悪臭の元になるゴミだけは、冷蔵庫に保管する(!)などして何とかこの数ヶ月、やり過ごした。

           2年前には公立学校の先生までストをして、1ヶ月近く学校が休みになってしまった。ゴミ収集が止まったのもこの13年で初めてのことではない。10年ほど前になると思うが、やはり1ヶ月ほど集めてもらえなかった。

           公立病院の看護士が数週間にわたり、ストをしたこともある。カナダではクリニック、診療所は別にして、手術や入院をする病院は通常、公立だ。私立クリニックも少数だがあるし、その数はここ数年、増加傾向だと聞いているが、出産時、盲腸の手術など、殆どの人は公立病院を利用する。その看護士がピケを張ってしまった。

           病院機能が完全にストップするわけではなく、生命に関わるような治療については対応していた。しかし、その他の治療は、解決するまで後回しだ。知人は運悪くスト中に出産。立ち会った旦那さまが、医師を手伝って無影灯を照らしたと懐かしそうに話していた。

           さらに意外なのは、「労働者にはストを行う権利があるから」と容認する人が多いことだ。日本では争議行為など、公務員の労働基本権は制限されているが、カナダで認められている。私の周囲では「まったく人騒がせな!」と怒っているのは、ストに慣れていない日本人ぐらいだ。カナダ人は概して組合員に同情的。学校のストのときには、ピケをはっている先生方に差し入れする保護者もよく見かけた。

           カナダのストはとにかく長い。そして、公務員のスト行使権が法律で認められている。

          ≪西川桂子(にしかわけいこ)/プロフィール≫
          フリーランスライター、翻訳者。まっぷるマガジンカナダ(昭文社)、海外女性通信(婦人公論)他、3児の母の立場から、海外での子育てなどについても執筆。実はこのストライキ、悪いことばかりではない。おかげで、市民のコンポスト利用が増えたりと、エコ意識が高まった…という話もいつか書きたい。
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          タマネギ涙で目の浄化
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            『ところ変われば……』
            文・写真:冬野花(ニューデーリー・インド)

             インドで生活していて、すでに3人くらいのインド人から言われたことのあるセリフ。それは「あら、タマネギで出る涙は、目を浄化するからいいことなのよ」というものだ。

             私がタマネギを切りながらボロボロ泣いている時にも言われたし、サランラップで目を覆いながらタマネギを切っていた時にも笑われながら言われた。それどころか、以前住んでいた家の大家さんは「ドライアイの時や目にゴミが入った時には、タマネギを切るといい」とまで言っていた。わざわざタマネギを切って、意図的に目に涙をにじみさせるなんて!

            タマネギ涙で目の浄化

             そういえば、アーユルヴェーダの施術では、目の中にオイルを流し込む、というものもある。目の中にギトギトのオイルを入れるの?と最初はびっくりするものだ。タマネギで涙の場合は、涙をたくさん流すことによって汚いものを外に排出し、目を潤す、という事だろう。それがケミカルな方法ではなく、タマネギで、というところが自然界の知恵を集結させたアーユルヴェーダが生活の中に生きているインドならではである。

             最近では日本でも浸透し始めているアーユルヴェーダという言葉だが、「インド伝承医学」と訳されることが多い。伝承医学とは、民間の間に広まっている、いわば“民間療法・家庭の医学”のようなものであるので「タマネギで涙を流して目の浄化」も、それら一連の療法のひとつと言って差し支えないだろう。(といっても、アーユルヴェーダは、学問としてもしっかり確立されているが)。

             インドにいると、さまざまな“民間療法”の知恵が普段の庶民の生活に根ざしているのを実感する。特に、“浄化”や“毒素排出(デトックス)”といえば、アーユルヴェーダの最も得意とするところだ。

             日本では“タマネギを切る時のゴーグル”まで売っているというのに、インドではタマネギで出る涙はいいことだなんて、面白い異文化体験だ。

            ≪冬野花 (ふゆのはな)/プロフィール≫
            2004年夏よりニューデリーに単身在住。ヒンディー語をしゃべりながら暮らす。フリーライターとして活動しながら時間を見つけてはインド国内旅行をする日々。夏は最も魅せられているヒマラヤ方面、冬はポルトガル植民地時代の面影が残るゴアがお気に入り。旅ルポ、アーユルヴェーダ、ヨーガに関しての執筆も得意。ホームページ。ブログ「心の暴風警報」
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