おおらか出産はオーストラリア風? (オーストラリア)
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     『世界の出産』
    文:ケイブ(ゴールドコースト・オーストラリア)

     現在2歳の長男をオーストラリアはゴールドコーストの公立病院で出産しました。

     こちらではドクターよりミッドワイフ(助産師)による出産が中心です。妊娠中の定期健診は主に一般開業医にみてもらいます。定期健診は一般開業医、出産のときは病院に行くというシステムです。出産までに病院に行った回数は3回です。病院では、一般開業医の診察の内容を基にして検診を行いました。はじめに、助産師による健康診断があり、つぎに医師による診断という流れです。日本と比べると体重管理も一切なしの、おおざっぱな定期健診でしたが、妊娠期間中は順調で大した心配のないものでした。

     予定日を1週間過ぎても出てくる気配のない息子。診察のために訪れた病院で、医師に今すぐにでも誘発して出産するべきだと告げられ、その指示通りその晩に入院し、誘発をすることになりました。公立病院では医師の指定はできないため毎回、医師、助産師ともに違います。このときの医師は、「なぜ今まで誰も誘発を勧めなかったのか……」と驚いた様子でした。

     人工誘発剤を使った後は病室へ。生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声が響き、なかなか眠りにつく事ができませんでした。助産師にゆっくり眠るように言われた私は、「痛みに気づかなかったらどうしましょう?」と今思えば笑ってしまうような質問をしていたのでした。

     翌朝、無事陣痛が始まり、かけつけた夫、義両親とともにぞろぞろと分娩室に入りました。日本のように待機する部屋はなく、痛みが始まってから生まれるまで同じ部屋で過ごします。

     ベッドに横になると、痛み止めは使うか?と助産師に聞かれ、とりあえず笑気ガスのみで進めることにしました。笑気ガスを吸うと、意識が朦朧としてきたのを覚えています。笑気ガスはとても勢いよく吸わないと出てきません。おそらく、気をそらすための1つの手段なのでしょう。

     分娩室に入ってからは、付き添ってくれた義母の手を壊してしまうのではと思うほど、ぎゅっと握り締め、あとどのくらいかかるのかと繰り返し聞きながら痛みと戦いました。このとき夫はビデオカメラを私に向けていました。激しい痛みの中、耐え切れずに「ストップ!」と制止しました。夫は瞬時にしてカメラを持つ手を下ろしました。よっぽど大きな声だったのでしょう。今では笑い話となっています。

     そして3時間半後、息子との対面となりました。夫は感動した表情で息子を抱いていました。このとき息子の左目が閉じたままでした。夫が心配して訊ねると、助産師は指でぐいっと目をこじ開けたのです。あまりの勢いにただただ驚いてしまった夫と私でした。そして、すぐに胸の上に息子を置かれ、母乳を飲ませなさいという指示のもと、放心のまま息子に授乳しました。一生懸命に胸に吸いつく息子の姿は忘れられません。

     その後生まれたばかりの息子と一緒に部屋へ移動しました。疲労感と痛みを感じている私の横で泣いている赤ちゃん。これからどう世話をしていくのか、戸惑いも感じました。

     そんな私に比べオーストラリア人ママのたくましいこと。部屋で一緒になったママたちはなんとも豪快。出産後一晩明けて翌朝にはてきぱきと荷物をまとめて何事もなかったかのように退院していくのです。私は4日後に晴れて退院となりました。妊娠から出産まで全てが、お国柄どおりまさに“おおらか”なものでした。

    ≪ケイブ/プロフィール≫
    日本での外資系ITメーカー勤務の後、海外生活を実現させるためオーストラリアに渡る。ITマネージメントを現地大学院で学んだ後、永住権取得。現在は、一男の母、主婦、そしてITスペシャリストとして奮闘中。次なる夢はエッセイストとして活躍すること。がんばります。
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    産後の無理は早期回復につながる?(ブラジル・リオデジャネイロ)
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       『世界の出産』
      文:高橋直子(ブラジル・リオデジャネイロ)


       ブラジルは帝王切開大国だ。子どもの誕生日、星座、父親の休暇が決定でき、痛みがない!というのが帝王切開賛成派の意見。また医師にとっても、手術代が入り、短時間で済み、明け方起こされることもなく、決まった時間にできる帝王切開は、お手軽でお得なのだ。
       
       「自然に溢れるブラジルで、自然に生みたい」という思いから、私は、自然分娩推進派の主治医を探した。しかし願いかなわず、結局帝王切開へと移行した。我が子の首にへその緒が2重に巻き付いており、破水後も出てこなかったからだ。

       お手軽手術は15分。簡単そのもの。楽しそうに私のお腹を切り、縫い合わせるお医者さんの鼻歌は今でも忘れられない。

       そして手術後、個室に戻った私と夫。感動に浸っている2人の元へ、きれいに洗われた赤ちゃんは抱えられてやってきた。看護婦さんが私の乳房をつかんで、赤ちゃんの口に押し込む。まだ麻酔がきれず身体がうまく動かせない私。おっぱいマシーンの作動開始だ。乳房にくっついている小さな生命が、身体全体を使って一生懸命に乳を吸う姿に、夫と二人で涙した。

       手術後2時間が経過。「シャワーですよ〜」と現れた看護婦さん。聞き間違いではなかった。赤ちゃんではなく、私がシャワーを浴びるのだ。私を抱えた看護婦さんは、シャワー室でさっき切られたばかりの所をごしごし。血で真っ赤に染まるシャワー室のタイルを、ぼんやり眺めるのが精一杯だった。

       シャワーの後は30分の強制歩行。手術中におしゃべりをした私のお腹にはガスが一杯溜っていて、それをおならで出すのだそう。私の身体の重みに顔を引きつらせた夫に寄りかかり、がらんとした廊下でひたすら引きずられた。ちなみに、一人で立てるようになった24時間後まで、夫の筋肉トレーニングは続いたのだ。歩行訓練は、退院の日まで2時間おきに繰り返された。夜は母子同室だったが、夜中でも時間になると看護婦さんはやってきて、歩行訓練を強いたのだ。

       息子誕生後初めての食事は、油でいためた白米と豆の煮込みに牛肉のステーキ。帝王切開の一部始終に立ち会った夫は、肉など食べる気にならなかったらしくキャンセル。母乳に影響するからと、私はひたすら口を動かした。

       そして24時間後に退院許可を出しに来た主治医に、「まだ痛いんです」としがみついた。入院を一日延長してもらい、最終的に2日間病院にいたことになる。

       帝王切開であったにもかかわらず、出産から2日後には息子を抱いて自宅に戻ることができた。バージンロードを歩く花嫁のような速度だったが、自らの足で自宅に戻れたのは、無理な(?)リハビリのおかげだ。その後とどまることなく溢れた母乳も、ブラジル南部直産のステーキ肉のおかげかもしれない。


      ≪高橋直子(たかはしなおこ)/プロフィール≫
      ブラジル在住7年目のフォトグラファー&ライター。若い情熱に惑わされてブラジルにはまり、まいた種は芽を出してはや4年。絵本の読み聞かせ中ポルトガル語を、息子に直されるように。ビールを片手に楽しむ議論はタブーなし。討論好きのブラジル人に混じってサンバに浸る毎日。ブログ、「VIVAカリオカ!」
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